[2011.1.17-21 見学] 水流 尚志 氏 感想文

(鹿児島市立病院 初期臨床研修医 水流 尚志)

私が日ごろ研修を行なっている急性期病院ではほとんどの患者さんがお揃いの浴衣を着て、画一的な病室に横たわっています。バイタルサインの変化や基準外の検査値がイヤでも目につく、急性期治療に適した環境です。さらに、私たちがそばにいると患者さんは「病院にいる」という緊張感を漂わせ、ご家族との会話もどことなく「よそゆき」です。

そんなことを私が感じたのは、ナカノ在宅医療クリニックでの研修期間中に数多くの患者さんを訪問診療したからです。ナカノの回診で出会う患者さんは、住みなれた家に暮らし、使い込んだ家具や小物に囲まれ、思い思いの衣服を着ています。家族の写真や伴侶の遺影が鴨居や壁に掛かっています。同居する家族の生活する物音が聞こえ、お互いの会話も自然体で生き生きとしています(まさに文字通り、ライブ演奏のようでした)。今まで病室で会っていた患者さんたちがいかに日常生活という文脈から切り離されていたかを改めて実感しました。

「私とは、私と私の環境とである」とは哲学者オルテガの言葉です。これ以上の治療が状況を劇的に改善させることはないと自覚した患者さんやそのご家族が、自己の進む道を変える(中野先生のおっしゃるケア、主観の変容)ことができるとすれば、それは在宅医療のような環境の中でこそ可能になるのではないでしょうか。つまり、病院で管理される客体として予後を宣告されるのではなく、これまで生き生活してきた環境の中で自分がどう生きたいのかを自ら問うことではじめて、主観が変容できるのではないだろうか…そんなことを考えた(妄想した)数日間でした。

ナカノでは他にも様々な刺激を受けることができました。院内、院外におけるコミュニケーション、広くアンテナを張ること、血圧や呼吸管理、オピオイドの使用等々、挙げるとキリがありませんが、今回はとりわけ心に残った一つのことだけを記しました。最後になりましたが、中野先生、松尾先生、看護師の皆様、スタッフの皆様、貴重なご指導とこまやかなお気遣いをいただきましたこと御礼申し上げます。

(おわり)