理想の終の棲家はいずこに − 鹿児島ナカノ在宅医療クリニック見学記


 介護療養病床が消滅。有床診療所も新規開設は困難に。一般病床も削減。
で、あふれた高齢の患者さんたちは自宅へ。とはいえ、そう簡単に一般の住宅では介護はできない。
 独身の伯母達が3人で暮らしていた。診療所付きの住宅だったので、元診察室に介護ベッドを入れていたが、ひとり、また一人と老齢を重ねて天に召され、今は認知症の一番年若の伯母がグループホームに一人とり残されている。日々平穏にみえるその伯母の生活も、すでに齢八十を超え、発語も嚥下力も低下し、いつ何時不安定な療養生活に入るか分かるものではない。看護師の居ないグループホームで何処まで面倒が見てもらえるのか未知数である。特老にも入所希望をずいぶん前に出したが、200番以上の順番待ちで、あの世に行ってしまってから入所の番が来るだろうと、あきらめている。
 某大手の介護付き高級老人住宅へ見学に行った。ホテルのような床でじゅうたん張り。綺麗。入所一時金八百万円。月々の費用が20万円と比較的入居しやすい設定とのことで、入居希望の待ち行列が長く出来ている。ところが、夜間の看護師の常駐が無い。夜は3人の職員で52人を定期的に見回る。もし、病院で入院中に気管切開やIVHが入ってから状態が落ち着いたので老人住宅に帰ろうとしても、ここでは受け入れられない。大枚を払って入居していても、帰るところ無く病院を転々とするか、もっと高い老人住宅に変更しなくてはならなくなる。プライバシーを重んじた個室部屋にはモニターカメラはない。介護度が高い認知症患者の日々を監視するにも人的に不可能なヘルパーの配置数である。
 同じ大手の経営するもっと高級な老人住宅とはどんな所か、さらに見学を重ねた。同じ建物内に別の医療法人の経営する有床の診療所があり、夜間も看護師が居るのでIVHでも気管切開でも受け入れることができる。此処で亡くなって葬式も此処から出してもらった方が居るそうである。ところが、入居一時金は二千五百万円でその後の月々の費用も20万円後半と、庶民の伯母にはとても入っていただけない。最期まで看取ることの出来る理想の老人住宅は高嶺の花だった。
 電子カルテ、ダイナミクスの大阪定例勉強会にナカノ在宅クリニックの中野一司先生が遠路はるばるお出でになっていた。中野先生は病院でのITシステム構築の御経験を元にダイナミクス使用の訪問医療に特化したクリニックをたちあげられた先駆けのお一人である。現在、在宅療養支援診療所(ナカノ在宅医療クリニック)、24時間対応訪問看護ステーション(ナカノ訪問看護ステーション)で、自分が最期まで受けたい医療システムの構築を目指しておられる。(http://www13.ocn.ne.jp/~nazic/index.html)
 以前ダイナミクスの全国大会でご講演を聴いたことがあった。外来診療のほとんど無い診療所をゼロから立ち上げ軌道に乗せるという、今までの自分の医療への思い込みを超えた存在で大変新鮮だった。
 在宅療養支援診療所、24時間対応訪問看護ステーションができたナカノで、次に目指すものは、医療行為ができる(ターミナルケアにも対応できる)介護スタッフの育成(ヘルパーステーションの創設)です。ターミナルケアや、高齢者慢性期疾患(障害)に必要なものは、狭義の医療(治療)ではなく、ケアです。との中野先生のお話を懇親会で伺っているうちに、在宅でもヘルパーと看護がしっかりしていれば最期まで看れるはずと、ナカノ在宅クリニックを春の連休に見学に行くことを申し込んでいた。
 同行者をダイナミクスユーザーのSNSで募った所、たちまち埼玉の在宅医療をされている先生と鹿児島出身の眼科の先生が手を上げてくださって、3人の女医さんたちのツアーが出来上がった。SNSとは「ソーシャルネットワーキングサイト」を略したもので、参加者が互いに友人を紹介しあい、新たな友人関係を広げることを目的としたコミュニティ型のWebサイトである。登録会員限定のクローズドな情報を共有し、電子カルテ、ダイナミクスの有効利用を助けるための無料サービスである。
 道連れを得た鹿児島見学ツアーは、真面目な研修だけでなく、まるで女子校の修学旅行のように楽しいものになった。
 鹿児島市は、とても坂の多い街だった。シラス台地の山を造成した棚状の住宅地が郊外に広がり、まれに雪でも降ると、坂を上れない車で交通は麻痺するそうである。老人になると動きが取れなくなることが容易に想像できる。
 ナカノ在宅クリニックと隣り合う訪問看護ステーションは、典型的な坂の上の住宅地にあるしゃれた外観の普通の一戸建てだった。看板が無ければ、クリニックとは気が付かないかもしれない。クリニックは内科としては軽装備でレントゲン装置も無い。在宅に必要な物は濃厚な治療ではなくケアで、治療や診断が必要な時は他の専門施設と速やかに連携するので、これで充分なのだ。
 朝8時30分からの訪問看護ステーションでのミーテイングに同席した。ここでの主役は看護師さんたち。さながら病棟の申し送りを連想されるもので、医師はそれに時々コメントを加える。本日の往診コースの患者さんたちを3台の往診車それぞれに医師看護士運転士が乗って、廻って行く。見学者も患者さん宅に同行させてもらう。
 在宅クリニックは、こちらから出向いていく限りなく広い有床診療所で、患者宅は病室、道路は廊下、訪問看護ステーションでのミーテイングは、病棟カンファレンス、往診は病棟回診、クリニックは医局と中野先生は表現されていた。そしてこの形を連携させるのは医師も看護士もスタッフが各自持つノートパソコンに共有されている電子カルテであった。
 往診先では、ノートパソコンを広げて前のカルテ内容を確認し、診察中に簡単な所見を入力し、車中でさらに詳しい内容をメールという形で打ち込みクリニックに送信する。受け取ったクリニックの事務はそれを電子カルテに入力する。クリニックに帰還すると、紹介状、ケアマネージャーへの連絡指示、更に詳しい所見を書いたりとノートパソコンは手放せない。
 在宅での医療は主役ではなく、ケアこそが主役なのだが、ヘルパーさんの質は均質ではない。私の同行したある患者さん宅では、雨戸を締め切った薄暗い冷え切った部屋の中で患者さんが台所横の板の間にベッドを据えて、傍のポータブルトイレと手の届くテーブルの周囲だけで一人で生活していた。家事介助をするのに規定のヘルパーの訪問時間一時間を全て使ってしまい必要な足浴や入浴介護を出来ないどころか、あるヘルパーときたら家事も能率が悪くインスタントの味噌汁を飲まされた。と縷々訴えておられた。介護保険外のサービスの自己負担能力には限りがある。毎日一時間という訪問介護では、人間的な生活は無理なのかと暗澹たる思いになった。ナカノが次に目指すものは、医療行為ができる(ターミナルケアにも対応できる)レベルの高い介護スタッフの育成(ヘルパーステーションの創設)です。という院長の言う意味が具体的に理解できた。
 医療だけでなく、在宅支援システムを作ろうとしている中野先生は、クリニックでのカンファレンスの合間に経営の参考書としてロバート・キヨサキの著書群を挙げられた。この著書群を既に偶然読んでいたので中野先生の実践されていることが理解しやすくなった。中野先生無しでも上手く機能するシステムを看護士や介護士を中心に据えてマネージメントする事で作り上げようとしておられるのだ。
 今回の見学をヒントにして、伯母がグループホームを退去し在宅での医療と介護が必要な状況に追い込まれた時にも、たじろがない理想の老人住宅創造の希望を持ち始めた。それには介護と看護と医療との連携が鍵である。少なくとも、自分の老後の時までには作れるといいのだが。