2007.01.27見学】 山本真梨子氏 研修報告

<訪問診療を見学させていただいて>

鹿児島大学医学部保健学科 山本真梨子

先日はお忙しい中、訪問診療を見学させていただき、本当にありがとうございました。東京の大きな病院の1フロアでしか働いたことがなく、鹿児島の医療の現場、まして在宅の現場は触れることすら初めてで、目に映るもの、耳に届くもの全てが新鮮で、本当に貴重な経験をさせていただきました。中野先生や菊永看護師、受診者とそのご家族の方々からいただいた情報は本当に沢山で、まだ整理しきれていませんが、見学させていただく中で感じることのできたことを、お礼として少しでもお伝えできればと思います。

朝、「慣れ親しんだ景色に囲まれながら、住み慣れた家で暮らし続けたい」と強く願い生きる人々は、どのような人でどのような生活をしているのだろう、そしてその支援はどのように行われているのだろう、とドキドキしながら診療車に同乗させていただきました。

最初の受診者のお宅に着き、上がらせていただいてまず感動したのが、受診者の方が「患者ではなくて生活者」であることが実感できたことです。訪問診療の受診者の方々の表情とオーラは、病院で出会う人々のそれよりもはるかに強く感じました。「自分の生活を自分でマネジメントする」ということができる環境にいることが、こんなにも人間を強くするのだと、本当に驚きました。

そして家という場所が、いろんな情報を語りかけてきてくれました。そこに生活する人がどんな場所で寝ているのか、どんな景色を見ているのか、好きなものは何か、家族の誰とどんなふうに会話をしているのか・・・。病棟ではなかなかたどり着けなかったものが、すぐそこに沢山散りばめられていました。このなにげなくそこにあるものたちが、実はとても大切なものなのだろうと思いました。特に、きれいな仏壇のそばもしくは見える場所で過ごされている方が多くて、文化が受け継がれている様子も感じました。

このように住み慣れた家での生活が続けられるのは、本当に、支えるご家族の愛と力があってこそ。介護者の方は24時間365日、休むこともほとんどなく寄り添っていて大変なことが多いはずなのに、介護者の表情は病院の面会者よりもむしろ明るく感じることも多くありました。そこに流れる受診者とご家族の思いに尊敬をおぼえながら、とても複雑であろうそれに非常に興味を感じました。

家で生活されている受診者、それを支えるご家族にほんの少しの時間ですがお会いして、「住み慣れた家で亡くなる」ということ、「家族を家で看取る」ということ、「家族を失ったあと生き続ける」ということ、そこに流れる思いがどういうものなのか、さらに悩んでしまいました。これらは決して一つではなく、それぞれの人、家族で違うものだと、もちろん思います。ただ、生活している空間やそこにある空気、介護という行為そのものなど、さまざまな「癒し」が、地域、自宅にはあるように感じました。しかし、かけがえのない人が、今までずっとそばにいた人が、手を握り返せなくなり、反応がなくなり、触れることさえかなわなくなる。いつかそういう日が来ることを覚悟する。死が自然の摂理だとしても、出産と同じでとても痛みを伴うことなのではないだろうか、と思うことすら実は価値観の押しつけなのだろうか・・・など、ぐるぐる考えてしまいました。

教員になって日も浅く、在宅の現場を見学する機会も初めてで、「社会」という大きな枠組みにまでは目と頭が届かずに情けない限りですが、今回見学させていただいて、在宅という現場で、一人、一つを大切にしながら関わっていく、そうしたことへの興味と思いを強くすることができました。本当にありがとうございました。