2006.10.23-27研修】 松本 太志氏 感想文


子供の頃、我が家には木製の救急箱があった。

私の生まれた病院で母が貰ってきたというそれは、幼い目にはまさに魔法の箱に映った。中に並ぶ「チンク油」「マーキュロ」などの魅惑的な名称を具備した茶色いガラス瓶は、怪我をした際にはいつも、私や友人達の好奇心というスポットライトの下で、輝いて見えた。

今考えると汗顔の至りだが、幼い私は喜々として、あれもこれもと友人の擦り傷に薬を塗りたくった覚えがある。


そこには、薬剤には必ず何かしらプラスの効用があり、多くの種類を用いれば用いるほどその効果が重畳的に高まる…といった、子供なりの「薬剤に対する信仰」めいたものがあった。

このことは、「医療に対する信仰」と言い換えてもいいかもしれない。


充分な知識を備えていない段階では、多かれ少なかれ、人はこの種の信仰に囚われる傾向があるように思う。


信仰の対象になるのは、良く分からないことに対して、答えがあると感じさせてくれる存在である。
「分からない」けれど、塗れば御利益があるだろう薬。
「分からない」けれど、お任せすれば何かを成して貰えるであろう病院。

経済環境や医療の進捗に歩調を合わせるが如く、自宅から入院先へと看取りの舞台が移ろってきた背景には、こうした気分が存在していたような気がする。

そこでは、家族の思いが時代の流れという舞台を得て、高らかに謳いあげられてきたように感じる。


 …できるだけのことをしてもらいなさい。

 …家ではだめだ。みんな大したことはしてやれないし。

 …身内の死は受けとめる自信がない。この山を越えるのには、病院という特別な舞台でなくては。


さて、肝心の、患者さん本人の思いはどうだったの? と在宅医療の現場で問われたような気がして、立ち止まって振り向いてみる。
そして、ふと自分自身が患者ならばどうなのか、と内省する。


今回、在宅の現場を拝見して驚かされたのは、
入院中は寝たきりだったという人が、自宅をすいすい歩いていたりすること。
病院で逝くのは御免だ、家に帰れて良かった…という人が如何に多いか、ということ。

酷い褥瘡が、水道水の噴霧洗浄とフィルムの貼付だけで劇的に治ってしまうこと。
思い込みが、次々と覆されてゆく。家にいられること、その効用の凄さ。


勿論、看取りが必要なケースの在宅療養に於いては、彼らは病院でのそれより遙かに死と濃厚に接触することになるだろうが、日々を共に過ごす時間というものを見直してみれば、心が対応する準備期間と考えることもできるに違いない。

その瞬間には厳しいものがあるかも知れないが、振り返ればきっと深い意義がある筈だ。

そして、やはり共に過ごして良かったと、家族も強く感じられるのではないかと思われた。


最近読んだ本の中に、「死は誰のものか」と問いかける記述があった。

 …死の瞬間は、実は当の本人には分からない。
  全く知らない他人の死については、さほど気持ちは掻き乱されない。
  やはり近しい人、身内の死が一番の衝撃である。

といった論旨だが、実際そういうことなのだろうと思う。


今回の経験を踏まえて捉え直してみれば、死とは、自身のみならず近しい人をも取り込んだ意味での、極めて「プライベートな」事態なのだと思われる。
例えば鴎外が、軍部・政府を始めとした「何人の容喙をも許さず」と言い切り、一私人・森林太郎として逝った…そんなことを想い出したりした。

だから、百人いれば百通りの歴史があり、背景があり、好みがある中で、person-centeredな「最良の療養環境」を構築する要素として、それまで暮らした「場」というものは、実は極めて重要な存在だったのだと再認識させられる。


医療技術が進歩するにつれ、呼吸管理等、自宅で成せる処置の範囲は劇的に拡大しつつある。
そして、これからもその流れは大筋では変わらないと思われる。
コストを圧縮する為だけではなく、真の意味で患者さんや周囲の人々の幸せに資するという意味からも、
急性期や高度な検査を病院と連携しながら、療養環境としての在宅医療が更なる発展を続けることを心から祈念せずにはいられない。


今回、現場に於ける先生方の笑顔に、とても自然な印象を受けた。
それは多分、患者さんや家族の表情から、ある種の必然性をもって導かれたものだからではないだろうか。
更には、スタッフの皆様が"active manner"をもって自ら判断・行動され、一種の自律性を備えた存在として機能体を構成するそのスタイル。中野先生の構想するシステム作りは、今後どのような進化を歩むのだろうか。

先生方、スタッフの皆様、充実した一時をどうも有り難うございました。