ナカノ在宅クリニックでの実習を終えて
鹿児島大学医学部6年 栗林 泰隆
私が3日間の間に実習させていただいたことは、朝のカンファレンス見学、訪問診療見学、訪問看護見学の3本柱であったと思います。接する機会が多かったのは看護の方々でしたので、特にカンファレンスでのやり取りには驚きました。家族背景を考慮に入れながら、これまでの経過はどうで、今どんなケアが必要とされているのか、立場を越えて熱いディスカッションが交わされていました。コメディカルの方々のカンファレンスはまったくの初体験でしたので、このときの印象が自分の1つの基準になると思います。また、訪問看護に同行させていただいた際、病院でのケアではなく、患者さんのお宅に伺ってのケアなので、引き出し一つ触るのにも気を遣い一言断るようにしていると言われていたのは印象的でした。
訪問診療を見学させていただいて感じたのは診療の軸は「治療」というよりはむしろ「状態の管理」に置かれている印象を受けました。疼痛、循環呼吸、栄養、環境調整、薬剤調整、等これらをしっかり管理されているからこそ、落ち着く我が家に帰ったら病気が良くなったという状況があるのだと感じました。「状態の管理」に軸足を置いた医療、大事に至らないように診る医療に触れる機会があまり多くなかったため、普段意識している医療とは違う側面での経験をすることができました。
中野先生がおっしゃっておられたことを私なりに理解したので、先生の真意と異なる点があるかもしれませんが、先生は高齢者医療についてこのように述べておられました。「高齢者医療」という視点で現在の医療を取り巻く状況を考えたとき、現代の医療には制度疲労が起こっている。高齢者にとって必要な医療は、「病院医療によって治療する病気」ではなく、「障害を持つ高齢者の生活を支える医療」であり、いかにその障害と付き合っていくかという意識を持つ必要が迫ってきている。意識改革をすることによって昨今の医師不足、勤務医の過重労働、救急医療の問題、等の問題の解決の糸口となる、とおっしゃられていとことは忘れられません。「障害」という言葉の使い方が適切かは別にして (「ハンディ」とも説明されていました)、「障害」であるならば、その障害を「なくす」のではなくて、「薄める」という発想ができると思います。例えば、牡丹から桜へ、その色は消えることはなくても薄めることはできます。また、その色や花の種類は、高齢者ひとりひとりの個性と受け止めることができるかもしれません。発想の転換によってこうも違う考え方ができるものなのかと感じました。また、それによって医療のスリム化が実現でき、医療の需給バランスが安定するという論理に驚きました。中野先生にとっては、知識と経験に裏打ちされた論理なのでしょうが、その土台のない私にとっては、まったくの新しい考え方でした。
開業されてから8年になるとお話されていましたが、医師でもあり、経営者でもありながら、良い意味で楽しく業務をこなされている姿にはこれもまた驚きでした。医師一人で抱え込むのではなく、スタッフと綿密な連携を取りながら、チームとして一人の患者さんを診る、その姿勢は法人のマネージメントにも生かされているような印象を持ちました。
最後になりますが、突然の訪問を快く承諾してくださった患者様、お忙しい中実習を受け入れてくださったスタッフの皆様方に、この場をかりてお礼申し上げます。